I1d7dk74r56blhh7m2nd

ウズベキスタン

CATEGORY | ウズベキスタン

荘厳で美しいサマルカンドはシルクロードの要衝!文明の十字路!その歴史と魅力をご紹介!!

2022.02.16

サマルカンドはその美しさゆえに"東方の真珠”とか"イスラム世界の宝石”などと呼ばれ、観光の目玉です。今回は皆さんを荘厳で美しい青の都、サマルカンドの観光へご招待しましょう。歴史を紐解くことで見えてくるサマルカンド観光の魅力と深さをご一緒に!

  1. 執筆者情報
  2. サマルカンドってどんな所?
  3. ①モンゴル軍に破壊された紀元前の都、アフラシャブの丘
  4. ②アフラシャブ博物館、ソグド人の壁画は見る価値あり!! 
  5. ③レギスタン広場はサマルカンドのシンボル!
  6. ④ティラカリ・マドラサは金色に輝く神学校
  7. ⑤英雄が眠るアミール・ティムール廟  
  8. ⑥ビビハニム・モスクは中央アジア最大級
  9. ⑦正確さに驚嘆!!ウルグ・ベク天文台跡
  10. ⑧ライトアップが見たいけど、治安は?
  11. ⑨観光地のトイレ事情が気になる?
  12. 歴史を知るとサマルカンドの観光が深くなる

若い頃から旅が大好きです。55カ国は巡ったでしょうか。今では名所旧跡というよりは、マイナーな国や地域の空気感、暮らしている人の生活感を体感するのが好きです。はまっている国はインド。スラムの子どもたちの支援をしているので、通算30回以上訪問し、長期にも暮らしていました。旅のコンセプトは生活しているように旅をすることです。これからもマイナーな地域の魅力をどんどん発信していきますね。今回は2019年5月に訪れたウズベキスタンの情報をシリーズでお伝えしています。

サマルカンドの風景

日本からタシケントに着き、1泊したあと、早朝発の高速列車で2時間余り、サマルカンド駅に到着しました。

サマルカンドの風景

抜けるような空とモスクの青さから青の都と呼ばれていて、2001年ユネスコ世界文化遺産にされました。サマルカンドの歴史を見ると、いつの時代も戦いの場であったと言っても過言ではありません。

引用: https://www.instagram.com/p/Br2DO-PHZsq/?utm_source=ig_web_copy_link

街は新市街・旧市街・アフラシャブの丘の三つに大きく分けられます。旧市街はレギスタン広場を囲む街の東側にあり、細い道が迷路のように入り組んでいます。

そこには壮麗な建築群が今に残っています。ゆっくり、じっくり数多くのモスクや廟を味わってみましょう。一口に青の都といっても、その青に微妙な違いがあって中々面白いですよ。お気に入りの青を見つけるのもいいですね。私はアミール・ティムール廟の青の深さに魅了されました。

引用: https://www.instagram.com/p/BwD_Ra7BJ2V/?utm_source=ig_web_copy_link

そして、廃墟の丘では紀元前の国を想像したり、モンゴルによる破壊のひどさを目の当たりにしたりしました。やがてサマルカンドを繁栄へと導いたティムールの活躍ぶりを知り、贅を尽くした荘厳な廟に妙に納得したりしました。

その後もサマルカンドは幾度となく戦いを経験し、ソ連の一部となり、やがて独立。古いけれど若い国。ここではそう言ったサマルカンドの魅力を歴史的流れの中で楽しんでみましょう。

サマルカンドの歴史をさらっと!

紀元前10世紀頃からイラン系民族のオアシス都市として発展し、紀元前4世紀にソグド人の都市、マラカンダができました。以来、1220年まで商才や技術力のあるソグド人が都市に灌漑施設などを完備し、繁栄国家を築いていました。

1220年、モンゴル軍、チンギス・ハーンの攻撃にあい、マカランダは壊滅的な被害を受けました。今でもアフラシャブの丘で、その廃墟を見ることができます。なんとも寂しく荒涼とした場所で、かつての繁栄都市の面影を見ることはできませんでした。現在は出土品の多くがアフラシャブ博物館に収められています。

サマルカンドの風景 壁

その後、ティムールの力によってサマルカンドの街が再建され、14世紀末から15世紀にかけてティムール朝の首都として繁栄しました。サマルカンドにはティムールの廟であるアミール・ティムール廟やビビ・ハヌム・モスク、シャーヒ・ズィンダ廟が築かれました。

そののち、ティムールの孫のウルグ・ベクの時代には世界に誇る天文台が築かれました。しかし、ティムール朝の後期には諸王家がサマルカンドを巡って争奪を繰り返すようになり、1500年にジョチ・ウルス系のウズベク勢力であるシャイバーニー朝によって征服されました。

サマルカンドの国旗
引用: https://pixabay.com/illustrations/uzbekistan-flag-grunge-flag-1237419/

18世紀中頃からはウズベク内部の対立や抗争、さらにイランからの侵攻を受け荒廃が進み、1868年にはロシア軍に占領されました。ソビエト連邦時代の1924年、民族的境界画定によりウズベク・ソビエト社会主義共和国に区分され、1930年までその首都でしたが、1991年12月、ソ連の解体とともに独立を果たしました。

それでは、いよいよ大昔から現在へと順に名所を巡ってみましょう。まずは、アフラシャブの丘から。

アフラシャブの丘 サマルカンド
引用: https://www.instagram.com/p/Bq4ygExgSAo/?utm_source=ig_web_copy_link

サマルカンドの北東にある広大な丘陵地がアフラシャブの丘です。紀元前4世紀、ここにサマルカンドの都があり、シルクロードの中継地として繁栄していました。 当時のサマルカンドは道路が舗装され、各家庭には鉛管により水道が引かれ、緑豊かなオアシス都市だったそうです。

しかし1220年、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍の襲来を受け、町は徹底的に破壊されました。オアシスの水を引き込んだ給水設備が破壊され、4分の3の住民が殺されたといいます。まさに、栄枯盛衰ですね。

アフラシャブ博物館にはマラカンダの遺跡から出土した壁画などが多く展示されています。アレクサンダー時代のコインやフレスコ画、陶器などの展示品からソグド人の文化水準や高度な技術を伺い知ることができます。

引用: https://www.instagram.com/p/BsXUbX4FtCD/?utm_source=ig_web_copy_link

見逃せないのが、王宮にあった壁画です。損傷が激しいのですが、現在、修復作業が進められています。壁画には色々な人種の面々が王様に挨拶をしている様子が描かれています。シルクロードの要衝であったことを改めて思い起こします。

住所:Ashkent Rd, Samarkand, Uzbekistan 入場料金:30000スム(4.5USドル、500円)写真が撮りたいなら、3000スム(50円)追加。 時間: 9:00~17:00

レギスタン広場 サマルカンド

レギスタンとは“砂地”という意味で、サマルカンドの象徴ともいえます。向かって左からウルグ・ベク・マドラサ、ティラカリ・マドラサ、シェルドル・マドラサの3つのマドラサがコの字形に並んでいます。

マドラサとは神学校のことで、このレギスタン広場を中心にしてサマルカンドの復興が進められました。当時、レギスタン広場では、商人のバザール、謁見式・閲兵・などが行われていたそうですが、その光景を想像してみるのも楽しいですね。

入場料金: 30000スム(4.5USドル、約500円) 内部では別に写真料金が10000スム(150円)要ります。 住所: Samarkand, Uzbekistan 時間: 9:00~19:00 (冬期 9:00~17:00)

ティラカリ・マドラサ サマルカンド

サマルカンドのレギスタン広場の正面に見えるのが、ティラカリ・マドラサです。1660年に建設され、マドラサでありながらサマルカンドのメインモスクとして使われていました。

ティラカリとは金箔を施された、という意味で、礼拝所の内部は一面、金箔で覆われています。建設時には5kgの金が使われ、修復するときにも3kg使われたといいますから、その絢爛さには目を奪われます。

ティラカリ・マドラサ サマルカンド 窓

丸いドームのように見える天井は、実際は平面で、遠近法を用いて丸く見えるようにしています。メッカの方角を示す壁には星や植物、アラビア文字で飾られていて、豪華絢爛です。

アミール・ティムール廟 サマルカンド
アミール・ティムール廟 サマルカンド

ティムールやその子、孫たちなどが眠る霊廟です。1996年に金を大量に使って修復され、内部は光り輝やく華やかさを見せていました。夜はライトアップされ、昼間以上の輝きを放ち、息をのむほどの美しさです。

入場料金: 20000スム(3.0USドル 約320円) 別に写真料金が10000スム(150円)要ります。 住所: Samarkand, Uzbekistan 時間: 8:00~20:00 (冬期 8:00~18:00)

ビビハニム・モスク サマルカンド

ティムールは1399年、インドの外征から帰り、ビビハニム・モスクの建設を始めました。ビビハニムは『第一婦人』という意味です。国中から職人200人、労働者500人を集めて作業が進められたといいます。敷地面積は167m×109mあります。

資材の運搬のため、インドから95頭のゾウも連れて来られたそうで、5年後の1404年に完成しました。しかし、完成を急ぎすぎたためか、もろく19世紀末に起こった地震でミナレット(塔)も折れ、建物は廃墟と化してしまったのです。 現在はユネスコによって修復作業が進められ、再び鮮やかな青いドームや壁が復元されつつあります。

ウルグ・ベク天文台跡 サマルカンド

15世紀にウルグ・ベク(ティムールの孫)によって建てられた天文台の跡地です。入り口を入ると六分儀の地下部分が見られます。もともとは現在の規模の3倍の大きさで、世界最大の四分儀でした。

見学中、大変驚いたことがありました。ウルグ・ベクがこの天文台で計測した結果、一年は365日6時間10分8秒だと発表しました。現代の科学技術の進歩により、正確には1年は365日6時間9分9.6秒と決められています。インドなどの天文学者の推測との比較もなされていましたが、ウルグ・ベクノ計測が一番正確に近く、誤差1分もありません。

入場料金:30000スム(4.5USドル、約500円) 写真を撮る場合は3000スム(50円) 住所:Tashkent Rd, Samarkand 時間:8:00~18:00 (冬期 9:00~17:00)

サマルカンド ライトアップ
サマルカンド ライトアップ

ご安心ください。夜でも大丈夫ですが、女性一人だったり、人気が少ない所は避けましょう。どんな安全な場所でも100%ではありません。戒律はゆるいですが、イスラム教の国なので、露出度の高い服装はNGです。

サマルカンド トイレ

上の写真は観光地のトイレです。中はとても広く清潔なので、安心して使用できます。水洗ですが洋式ではありません。下の写真のような、お祈りの前に体を清める場所も併設されていました。

サマルカンド トイレ

以上、サマルカンドが歩んだ道を歴史の流れとともに見てきました。旅の目的は色々あってよいと筆者は思います。お買い物ツアーでもグルメツアーでも。しかし、サマルカンドを旅する時は、歴史を押さえたうえで観光するとその楽しさが倍増します。アフラシャブの丘を見て「な~んだ。何もないじゃないか、、、」ではもったいないです。

サマルカンドの子どもたち

ウズベキスタンは独立してまだ30年に満たない若い国です。独立までウズベキスタンの首都であったサマルカンドは、最近の変化をどんな思いでみているか想像しています。現在、人口の44%が16歳未満、65%が35歳未満で、急激に人口が増え、平均寿命は73歳です。医療の発達や衛生環境が整ったことで、幼児の死亡率が激減したのです。

サマルカンドのタイル

ウズベキスタンは石油や天然ガス、レアメタルなどの天然資源も豊富で、今後急速に伸びていくことは間違いありません。もし、一言でサマルカンドを形容するとしたら、"若い国ウズベキスタンにある古き荘厳な地”。 旅をするなら、すべてに素朴さの残る今ではないでしょうか?