佐賀県には殿様の住んでいた御殿がある!
こんにちは、歴史スポットや昭和レトロな場所が好きな、
つねたみと申します。
今回は、私が何度も訪ねてみなさんにおススメしたい佐賀のお城を紹介します。
佐賀城にある、全国でもほとんど例の無い殿様が住んでいた御殿を再現した佐賀城本丸歴史館や豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として築城した肥前名護屋城、風光明美な唐津城など、5つのお城です。
①【佐賀城】広大なお堀に囲まれた35万石のお城!
まずは、佐賀城です。
佐賀城は、龍造寺氏の村中城を改築して400年ほど前に築城された鍋島氏のお城で、
平野に建てられた典型的な平城です。
佐賀城の特徴の一つは、このような広大なお堀に囲まれている事です。
周りを幅50メートルにも達する広大なお堀に囲まれていて、
遠くから見るとまるで水に沈んでいるように見えたことから、
別名「沈み城」とも呼ばれています。
よくこんな広いお堀を掘った物だと感心するほどの広いお堀です。
現在は、天守閣や櫓などの建物は残っていませんが、
天守があった石垣や屋根に鯱鉾が乗っている鯱の門が、往時を偲ばせてくれます。
また城内には、近年殿様が暮らしていた本丸御殿が再現されていて、
無料で見学する事ができます。
佐賀城鯱の門の北側には、今年建てられたばかりの鍋島直正公の銅像があります。
鍋島直正公は、佐賀藩の第10代藩主で欧米列強に対抗するため、
科学技術の習得に異常なほどの執念を燃やした人物で、
鉄製大砲の鋳造に成功したり日本初の蒸気船を建造したりと、
幕末の佐賀藩を一躍技術立国に持ちあげた名君です。
強いリーダーシップを発揮して、大隈重信、佐野常民、江藤新平など幕末期から明治期に活躍した多くの人材を輩出しています。
いかにも意志の強そうなお顔をされていて、前に立つと身が引き締まる思いです。
佐賀城天守台~かつて5層の天守があった場所
ここは、天守台への入り口です。
このような堅固な石垣が組まれています。
石垣の石をよく見ると、丸や三角の印が付いているのがわかります。
これは、築城に駆り出された家臣たちの家紋らしいです。
記念になる印を付けたがるのは、今も昔も変わらないですね。
この階段を登れば、天守台です。
築城当時には、無かったのですが天守台へ登るため設置された階段です。
かつてここに佐賀城の天守閣が建っていました。
礎石がいくつか見えます。
かなり大きな天守閣が建っていた事が、想像できる広さです。
天守閣は、築城されてから100年ほど後に火事で焼失したそうです。
多くのお城の天守閣も火事で焼失していますね。
天守台から南を見ると、再現された本丸御殿の屋根が見えます。
本丸御殿の大きさを実感できると思います。
鯱の門~明治佐賀の乱での銃弾の穴が生々しい
佐賀城の入り口にどっしりと構えているかのような鯱の門。
1836年に造られたそうです。
屋根の端に乗っている、鯱鉾から鯱の門と呼ばれています。
風格があって、思わず見入ってしまう立派な門です。
この鯱の門の扉や柱には、明治4年の佐賀の乱で撃ちこまれた銃弾の穴がポツポツと、
開いています。
扉には、数か所の穴が確認出来るでしょう。
本当にここで銃撃戦が行われたのかと思うと、身震いしてしまいそうです。
特に見て頂きたいのが、この柱に銃弾が食い込んだ弾痕です。
穴の奥から見える、つぶれて変形した鉛の弾丸がここで起きた戦闘の激しさを、
生々しく伝えているようです。
明治維新を成し遂げるために、払われた犠牲の大きさを窺い知ることが出来ると思います。
【佐賀城本丸歴史館】殿様が住んでいた巨大な御殿!
鯱の門をくぐると、巨大な本丸御殿が現れます。
かつて殿様が住んでいた御殿を再現した、佐賀城本丸歴史館です。
このような御殿が再現されているお城は、全国的にも稀のようです。
入場無料で、見学できます。
鯱の門をくぐると、まずこんな大砲が目に入ります。
これは、佐賀藩がアメリカから輸入したと言う大砲のレプリカです。
後に幕府の注文で、これと同じような大砲を鋳造して、
江戸のお台場に据え付けられていたと言う事です。
実際に空砲を撃つ事も出来るので、イベントの時などに轟音を響かせています。
本丸歴史館の入り口には、こんな大砲が鎮座しています。
これは、アームストロング砲と言って砲弾を後ろから込める事が出来る、
当時最新式の大砲のレプリカです。
先ほどのカノン砲とは比べ物にならないほど高性能な大砲です。
イギリスから輸入した大砲を元に、佐賀藩が自力で作り上げたと言われています。
当時の佐賀藩の技術力の高さを物語る大砲で、戊辰戦争で実戦に投入されて、
圧倒的な威力を発揮したそうです。
これは本当に精巧に出来ていて、どうやってこんな加工をやったのだろうと唸ってしまいます。
御殿の中には、こんな300畳敷きという大広間があります。
この広さ、他ではなかなか体験できないと思います。
天井が高い事!さすが殿様の館だと驚かされるでしょう。
また、この大広間を仕切って、佐賀の八賢人と呼ばれる幕末の偉人に扮した役者による、
寸劇を見学する事が出来ます。(日時や時間帯によります)
歴史館の中には、発掘調査で得られた築城時の遺構の様子や、
幕末佐賀藩に関する資料が多数展示された、資料館があります。
年に数回、テーマを決めた特別展を開催しています。
ここは本当におすすめの施設なので、ぜひお立ち寄りください。
入場料:無料
佐賀城と佐賀城本丸歴史館の詳細情報
電話番号 | 0952-22-5047 |
営業時間 | 9時30分~18時00分 月曜定休日 |
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【米子(こめっこ)サンド】散策の合間にご当地グルメはいかが?
佐賀城のすぐ側には、佐賀レトロ館というオシャレな建物があります。
ここは、明治時代に警察署として建てられた建物を改修して、
レストラン・カフェ・物産館として営業しています。
こちらは、佐賀のご当地食材を用いた各種物産やパンの販売所です。
隣のカフェに、米子(こめっこ)サンドというおススメのサンドイッチがあります。
これは、注文してから調理するので出来たてな上、
米子で作られたパンに佐賀牛やレンコン、玉ねぎなど佐賀の特産野菜が挟まれているので、
ぜひ食べてもらいたい絶品サンドです。
お値段は、980円です。
詳細情報
住所:〒840-0041 佐賀県佐賀市城内2丁目8−8
電話番号 | 0952-97-9300 |
営業時間 | 11時30分~15時00分 17時30分~22時00分 月曜定休日 |
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②【唐津城】天守閣からの眺め最高のお城!
唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢広高によって、
慶長7年(1602)から7年がかりで築城されました。
別名「舞鶴城」と呼ばれています。
この橋の上から眺めると、本当に惚れ惚れする美しさです。
城下から本丸まで、こんな石段を結構登ります。
毎日ここを登り降りしていた、お城勤めのサムライ達の大変さが体感出来る石段です。
石段を登るのがつらい方や障害者の方のために、エレベーターもあります。
天守閣が乗っている、天守台の石垣です。
ご覧のようにかなりの高さがあります。
唐津城の築城には、廃城となった肥前名護屋城の資材が使われたと、
言われています。
大量の資材をここまで運ぶのは、どれだけ大変だった事でしょう。
天守台の石垣は、現在修復工事が行われています。
(天守閣に登る事は、出来ます)
同時に発掘調査も行われていて、
修復状況と共に調査結果の成果報告なども掲示されています。
本丸には、こんな立派な天守閣が建っています。
これは、築城当時の物ではなく昭和41年に建設されたものですが、
なかなか優美で、均整のとれた天守閣だと思います。
天守閣内は、資料館になっていて武具類やゆかりの品々が展示されています。
本丸からの眺めは本当に最高で、海風も心地よくずっと眺めていたくなるほどです。
入場料は、一般(15歳以上)500円 小中学生 250円 未就学児無料です。
唐津城の詳細情報
住所:〒847-0016 佐賀県唐津市東城内8
電話番号 | 0955-72-5697 |
営業時間 | 午前9時~午後5時 (入館は午後4時40分まで) ※季節によって時間変更があります。 天守台(舞鶴公園上段・天守閣外)午前5時~午後10時 常時開放しています。 休館日 12月29日~31日 |
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③【肥前名護屋城】全国の大名が集結した豊臣秀吉のお城!
肥前名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として、
天正19年(1591年)にわずか半年余りの突貫工事で、
築城されたとされています。
このお城は、当時最大の城閣であった大阪城に次ぐ大きさで、
実際に現地を訪れると、その規模の大きさに驚かされることでしょう。
国の特別史跡にも指定されています。
ここは、大手門近くの石垣です。
このような石垣が、広大なエリア内に数多く残されています。
城郭内では、現在もあちこちで発掘調査が続けられています。
これは、発掘調査の成果を掲示した説明版です。
ここは、三の丸跡地です。現在は、木々が生い茂っていて林のようになっていますが、
所々に石垣の残骸が転がっていたりして、往時の様子を彷彿とさせてくれます。
とにかく広いので、このような案内板が至る所に設置してあります。
これは、櫓があった石垣です。
半分崩落していますが、大きな櫓が乗っていた事を窺わせてくれます。
城郭内には、このような石垣が広範囲にわたって残っていて、
いかに大きなお城だったかを思い知らされます。
本丸へと続く石段です。
そしてここが、本丸です。
並のお城とはケタ違いの広さを誇っています。
まるでサッカーグランドかと言うほど広いです。
ここには、茶室があり秀吉が度々茶会を開いていたとの事。
本丸の端には、天守閣が建っていた天守台跡があります。
敷き詰められた小石の間に、規則的に並んだ礎石が見えます。
かなり大きな天守閣があった事が、想像できます。
天守台跡から眺める玄界灘の景色は、最高です。
かつては、この海に数百隻の軍船が浮かんでいて、
それを秀吉が、ここから眺めていた事を思うと、
歴史のロマンを感じながらも、ちょっと複雑な心境になります。
この肥前名護屋城は、天守閣も櫓もない廃城ですが、
広大なエリアに点在する櫓跡や石垣を見ていると、
想像力を掻き立てられます。
佐賀の城として、イチオシなのがここ肥前名護屋城跡です。
お城の周辺には、徳川家康を始め全国100以上の大名の陣屋跡!
肥前名護屋城の周りには、100以上の大名の陣屋跡があります。
徳川家康、前田利家、伊達政宗など戦国のビッグネームのほとんど全てが、
それぞれ数千から万単位の軍勢を引き連れて、ここに集結していました。
そのため人口20万人と言う当時最大級の都市が、形成されていたとの事です。
陣屋跡は、陣屋通りに沿って残っています。
広範囲にあるので、車で移動しながら訪ねる事になると思いますが、
それでも1日ではとても回りきれない数の陣屋跡が、点在しています。
主な武将の陣屋跡には、このような説明版があります。
ここは、薩摩の島津義弘陣屋跡です。
辺りに木が生い茂っていますが、そこらじゅうに石材のかけらが転がっています。
ブルーシートが掛けられている個所は、発掘調査がなされている所です。
現在も、多くの陣屋跡で調査が続けられています。
島津義弘陣屋跡に残る、石垣です。
なにしろ兵が数千単位で、駐留していたのでかなりの敷地面積があり、
このような石垣を用いた、小規模の城のような形態だったと思われます。
こんな感じで、大きな大名の陣屋跡には石垣が残っている所も多いので、
それぞれの陣屋の違いなどを比べる事が出来ると言う、
戦国好き城好きにとっては、たまらない場所だと思います。
陣屋跡を回られる場合には、予めいくつかの武将を決めておいてから、
効率よく移動する事をおすすめいたします。
【佐賀県立名護屋城博物館】VR名護屋城のタブレットが借りられます。
肥前名護屋城には、こんな立派な博物館が併設されています。
ここには、朝鮮出兵に関する各種資料や武器類、軍船の模型などが展示されています。
資料的価値が高い物が多く、一見の価値があります。
しかも無料で見学できるので、絶対に立ち寄った方がいいです。
ここでは、往時の肥前名護屋城をバーチャルリアリティで再現できる、
VRタブレットを借りることができます。
これを持って、名護屋城を散策すればどこにどんな建物があったのかを、
バーチャル画像で確認する事ができます。
博物館への入場:無料・VRタブレット貸し出し:無料
肥前名護屋城と名護屋城博物館の詳細情報
住所:〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931−3
電話番号 | 0955-82-4905 |
営業時間 | 9時00分~17時00分 月曜定休日 |
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④【須賀神社と千葉城跡】中世山城跡
小城市中心街から北に2キロほどの所に、須賀神社という急な石段で有名な神社があります。
その石段を登った上宮から東に歩いた所に、千葉城跡があります。
上宮から下を見ると、こんなに急です。
この石段は、よく地元の人がトレーニングに使っています。
日頃運動をしていない人は、上まで登ると息が切れて心臓バクバクになるでしょう。
それだけになかなか登りごたえがある石段です。
ちょっとした里山を散策する気分で上宮から東の方に5分ほど歩くと、千葉城跡です。
千葉城の本丸と思われる所には、大きな石碑が建てられています。
この説明版によると、鎌倉時代に関東からこの地を治めるためにやって来て、
繁栄をつづけていたものの内乱で衰退して最後は龍造寺氏に滅ぼされたとなっています。
当時、全国各地で同じような事が起きていたのでしょうが、
戦いに負けると、容赦なく淘汰されるという厳しさを思い知らされます。
戦国期には、佐賀県のエリアだけでこんなにもたくさんの武将が群雄割拠していました。
その中で、龍造寺氏が勝ち残るわけですが、
その龍造寺氏も薩摩の島津氏との戦いに敗れて滅んでしまいます。
まったく諸行無常としか言いようのない時代です。
そして現代、平和な公園として整備されています。
せっかくなので、展望台にも登ってみましょう。
天気が良ければ、遠くは島原半島まで見渡す事が出来ます。
戦国の武将もこの風景を見ていたのでしょうか。
そんな歴史のロマンに思いを馳せながら、景色を堪能するのもまた格別です。
千葉城跡の詳細情報
住所:〒845-0004 佐賀県小城市小城町松尾3545−3
電話番号 | 0952-37-6129 |
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⑤【古湯城】温泉街を見渡せる山城
古湯城は、古湯温泉街のすぐ近くの城山にある典型的な山城です。
築城されたのは、1336年(延元元年/建武3年)と言われていて、
城主は、原隼人という武将との事です。
山頂付近まで、車で登って来る事ができます。
ちょっと汚れていますが、古湯城の縄張り図です。
山頂の尾根に沿って、陣地が築かれている事がわかります。
本丸があった山頂へ行くには、こんな結構急な階段を登って行きます。
軽い山登りをするような感じです。
途中には、こんな「切通し」という丸田の説明が出てきます。
切通しとは、山腹を削って通路にした場所で、
城の防御のための機能も持ち合わせていたようです。
次に城石垣という案内が、出てきました。
どうやらこれが石垣の一部のようです。
こんな山頂まで、石を運んでくるのも大変だったと想像できます。
古湯城の本丸にある、石碑です。
さきほどの石垣もそうですが、
こんな大きな石碑をここまで上げるのも大変だったと思われます。
山頂にある休憩所です。
なんだか昭和の香りがするレトロなベンチですね。
山頂からの眺めは、最高です。
眼下には、古湯温泉街の街並みが見えます。
古湯城跡の詳細情報
住所:〒840-0501 佐賀県佐賀市富士町大字古湯
山城散策の後は、温泉街で汗を流そう
古湯城の麓には、古湯温泉という温泉街があります。
このように、十数件の温泉宿が密集しています。
どの宿も、1000円ほどで温泉に入る事が出来ます。
古湯温泉は、温度が低め(38度)なので長く浸かっていられるのが特徴です。
温泉だけ入るのに1000円は、ちょっと高いと感じる方には、
格安(300円)で温泉に入れる、古湯温泉センターがおすすめです。
街中には、こんな温泉が流れる足湯休憩所が何か所かあります。
温泉に入った後は、通りを散歩するのもいいですね。
いかにも山間の温泉地と言った趣のある通りを歩いていると、
心が洗われることでしょう。
古湯温泉の詳細情報
住所:〒840-0501 佐賀県佐賀市富士町大字古湯
電話番号 | 0952-58-2111 |
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佐賀のお城5選まとめ
以上、5つのお城と周辺の施設を紹介しました。
有名なお城のような派手さはないものの、明治維新の傷跡や秀吉の夢の跡のような廃城の
儚さ、戦国時代の下剋上の厳しさを感じる事が出来る城跡なので、ぜひ訪れて頂ければ幸いです。