現地で使われている役にたつ日本語とその文化的背景を、パラオ在住20年の筆者がご紹介!
こんにちは!パラオ在住20年越え、花と動物を愛するyuwankoです。本日は、私の長~いパラオ生活で実際に見聞きした体験・情報をもとに、パラオ旅行に役立つ和製パラオ語をお伝えしたいと思います!
1. これもあれもパラオだった!日常的によく使われるたくさんの日本語
(1)パラオの公用語は?パラオ語ってどんな言葉?
パラオ共和国としての「公用語」はパラオ語と英語です。パラオは戦後、米国の信託統治領となったこともあり(1994年に米国より独立)、最近の若者達はアメリカナイズされてきていますが、まだまだ日本語が多く使われています。
パラオ語は、言語的にはインドネシア語に近いともいわれています。
頭がngから始まる単語が多く「がぎぐげご」は鼻濁音となるため、日本人には発音が難しいです。日本統治時代には日本式な読み方が通例となり、今でも日本人はその発音で地名などを表しています。
例:Ngermlengui→アリモノグイと発音(パラオの州の名前のひとつ)
(2)世界で唯一!日本語を公用語として定める憲法がパラオにあった!
驚くことにパラオ16州の中で、なんと日本が「公用語」となっている州があるのです。それはパラオ南部に位置する「アンガウル州」(上記地図の一番下)。
戦時中には宇都宮の部隊が駐屯し、米軍と激しい戦闘があった日本軍玉砕の地です。アンガウル州の憲法には以下のように記されています。
"The traditional Palauan language, particularty the dialect spoken by the people of Angaur State, shall be the language of the State of Angaur. Palauan, English and Japanese shall be the official language."
訳:パラオの伝統的言語(特にアンガウル州民により話されている方言)は、州の言語とする。すなわち、パラオ語、英語及び日本語を公用語とする。[アンガウル州憲法第12条(A)より]
アンガウル州の憲法は、1982年に当時15人の州議員によって制定されました。当時パラオは米国の信託統治下にありましたが、憲法は米国からのプレゼントではなく、アンガウル州民が独自に勉強して作成したものです。
日本統治時代には、燐鉱採掘のため多くの日本人が住んでおり(終戦後は日本に強制送還)、戦後も慰霊と旧友訪問をかねてやってくる日本人が少なからずいました。
なので日本語はフツー(パラオ語で普通の意味)に話されていたことから、日本語を公用語にする必要性があったと思われます。
*上記写真左は州憲法制定時の州議員だったヴィクトリオさん。今は故人だが往年は海洋専門家として活躍され、筆者と交流があった。
(3) スーパーでもレストランでも日本語でが通じる!(一般名詞編)
パラオ滞在中は、一度ならずスーパーや外食に出かけることでしょう。スーパーでは日本の食材やお菓子が並び、地元の人にも人気があります。ほんの一例を紹介します。
日本の製品がずらりと並ぶパラオのW.C.T.C.ストア。「アンコ」(中下)は年中買うことができる。
お正月には「オメデトウ」と言って「オシルコ」を食べる。選挙前には「オシルコパーティー」を開いて有権者をもてなす。
ちょっと見にくいが、「ABRABANG」(アブラパン=揚げパンのこと)はパラオ人に人気の菓子パンだ。
パラオでベストセラーのお菓子、日本では馴染みのあるカンパン。地元では、左は「カイグンビスケット」、右は「カニビスケット」として親しまれている。
北部の田舎町にあるレストランでも日本語のメニューがある。「Udong=うどん」、「Ramen=ラーメン」、「Yakisoba=やきそば」など。
パラオの田舎町の小さなストアの外看板。Bento(弁当)にKarintong(かりんとう)まで売られている。
(4) ちょっと懐かしい!古い言葉が現代でも使用されている例
「英語でなんて言うんだっけ?」と思ったら、とっさに出た日本語かかなり通じるもんです。
パラオ人からは「なんでお前はパラオ語を知ってるんだ!?」と言われたりもしますが、実は元々日本語なのを意識していないのですね。
日本人がやってくる前にパラオになかったものに名前がつき、それらが今では定着しているのです。なので、ちょっと古い表現もあり微笑ましいものです。
こんな言葉を知ると、古き良き時代をパラオで発見できた気分になりますね。
2.和製パラオ語を使って、明るく楽しいパラオ人とコミュニケーション!
(1) パラオ人と楽しくコミュニケーション!(日常会話編)
パラオ語になっている日本語で話しかけてみてください。パラオ人が親しみをもってくれること間違いなし!
スーパーでは、アサヒがたくさん並んでいる。ちなみに1本U$1.25とパラオ人が大好きなビールに関しては酒税が安い。観光客の皆さんは、地ビールの「レッド・ルースター」をお試しあれ!
(2) カベニミミアリ!こんな言葉を使うときには注意が必要!
*「カベニミミアリ=壁に耳あり」もパラオ語になっています。
下記の言葉はパラオ語として定着しているので、使うときは要注意です!
3.なぜパラオでは日本語がたくさん使われているの?親日国の一面も
パラオは1914年から終戦までの30年間、日本に統治されていました。
1922年には首都コロールに南洋庁が置かれ、多い時には15,000人を超える日本人がパラオに居住していたようです(現在の日本人の人口はたったの300人ほど)。
日本統治時代にあった南洋神社。パラオ人も「ショウガツ」にはお参りにいった。現在は、パラオ人住宅の敷地内に。
(1) 日本人が教えたこと
日本統治時代の前はドイツ、その前はスペイン時代がありました。彼らがやった主なことは布教(現在もカソリック教会がある)と、ココナツ採取、燐鉱採掘などでした。
日本人が来て、パラオ人に日本式の漁業、農業を教え、教育、インフラ整備に力を注ぎました。
パラオ人の子弟達は日本の公学校で日本式の教育を2年間受ける機会が与えられ、されに優秀なパラオ人生徒は専門学校や日本へ留学生として行くことができました。
現在もパラオに「モッコウ」という地区がありますが、そこには優秀なパラオ人男子生徒が「ダイクサン」になるために学んだ木工徒弟養成所がありました。
その時代に日本の学校で学んだパラオのジイちゃん、バアちゃん達は日本語が堪能、署名はカタカナでします。そんなジイちゃん、バアちゃんに躾けれらパラオの若者達はちゃんとしている子が多いです。
パラオになかった物にそのまま名前がついて今でもパラオ語として使われているのには、そういった背景があるのです。
イタボリ(板彫り)も日本人が教えたものの一つ。当時、東京美術学校の先生でもあった土方久功(ひじかたひさかつ)が、パラオの神話と民俗をモチーフにして彫り始めた。
ストーリーボードとも呼ばれ、今ではパラオを代表するお土産品の一つである。
(2) 昔の方が都会だった?日本統治時代のパラオの様子
当時を知る人々に話を聞くと、昔のパラオは今より栄えていたそうで、「ダイニトウキョウ」と呼ばれていたとか。
中心部は「コロール五丁目」。現在は住所表記がないため、郵便物は郵便局の私書箱に取りにいきますが、当時は郵便ポストがあり、丁割りや班割りもありました。
昔あったのに、現在ないものとしては、楽器屋、自転車屋、置屋(芸者遊びするところ)、活動写真館など。国立博物館には当時の写真がたくさん展示されており、いかに日本統治時代のパラオが栄えていたかを学ぶことができます。
置屋が数件並んでおり、当時栄えていた「ゲイシャドーリ」(今はゲイシャ・ストリートと呼ばれる)を通るとチクオンキ(蓄音機)から、日本の歌がたくさん流れてきたそうです。
当時はコロールのメインストリートに商店がたくさん立ち並んでいた。今、私達がパラオでどうにかやっていけるのも、先人達の努力があってこそ、と感謝する。
(3) あなたも私も日本の名前!日本語名を持つパラオ人達
サクマタダシ、スギヤマアキコ、これらはすべてパラオ人の名前です。
おもしろい苗字の例:
カトサン、サトサン、クマガイサン
日本人が苗字に「さん」をつけて呼ぶので、「さん」も名前の一部になってしまった例です。
また、パラオは基本的に母系社会ですが(日本と違って母親のラインで相続していく)、子供には父親の苗字をつけることが多いので(誰の子か間違わないため)、父親の名が子供の苗字になっていることが多々あります。
日本語名がパラオ人の苗字になっている例:
キンタロウ、モモタロウ、マツタロウ
日本統治時代には、日本人=知らなかったことを教えてくれる人、厳しいけど勤勉な人達、と尊敬されたようで、こぞって日本人の名前をつけるのが流行ったようです。
今でも、男性ではマサオさん、カズオさんなど、女性ではケイコさん、スズコさん、マユミさんなどがいらっしゃいます。キラキラネームはまだ浸透していませんが。
(4) パラオに残る日本語の地名
パラオでは断然、海のオプショナルツアー(スノーケル、カヤック又はダイビングなど)に行かれる方が殆どですが、パラオ本島であるバベルダオブ島に行くのもジャングルの風景や日本時代の名残が感じられ興味深いものです。
バベルダオブ島は、ミクロネシアではグアムに次ぎ2番目に大きな島で、現在は道路も舗装されており、海とは違ったパラオの魅力に触れてみたい方にはおすすめです。
当時、首都コロールには、南洋庁の役人、学校の先生、商売人らが住み、バベルダオブには主に農業、酪農、鉱業(ボーキサイト掘削をした三井炭鉱関連)の人々が住んでいました。
バベルダオブ島に残る日本語の地名
ミズホ:瑞穂村。空港のあるアイライ州にある。土地が肥沃で農業が盛んだった
シミズ:清水村。当時、パイナップル缶詰工場があったゲサール州に。当時は缶詰にして日本に輸出するほどパイナップルが取れた。現在はシーズンになると少しだけスーパーで売られる程度だが糖度が高くて美味しいパラオのパイナップルだ。
ヤマト:大和村。アリモノグイ州に
アサヒ:旭村。北海道の旭川からの人々だろう。現在も日本人経営の農場「パラオ・オーガニック・ファーム」の場所。
パラオ本島最北の州・アルコロン州にある日本のトウダイ(灯台)跡。現地でも「トウダイ」で通用する。
ゲサール州シミズ村(日本時代にパイナップルの缶詰工場があった)当時はこの川を利用してパイナップルの缶詰が船で運ばれた。
4. 演歌が人気!パラオで人気の日本の歌
(1) カラオケでよく歌われる日本の歌と人気の歌手
牧村美恵子「みちづれ」
都やるみ 「アンコ椿は恋の花」「大阪しぐれ」
千昌夫「北国の春」
岡晴夫「パラオ恋しや」←もはやご老人達しか知らない
その他歌手として人気があるのは、美空ひばり、橋ゆきお、フランク永井など。
そして先日、パラオー日本国交樹立25周年でパラオでコンサートをなさった丘みどりさん!美人で歌がうまくて、パラオ人は大喜びでした。
(2) パラオ人作曲の日本語の歌
パラオ人作曲の日本語の歌詞の曲はいくつかありますが、今日はその中でパラオ本島最北端のオレイ波止場の情趣を歌った「TSUKIHI WA NAGARETEMO OLLEI HATOBA=月日は流れてもオレイ波止場」を紹介します。
パラオの音楽のクラスでは、先生のオルガンに合わせて歌うだけなので、楽譜を読める人はまずいません。
耳コピでメロディを拾う絶対音感の持ち主も多いのです!
ますますパラオが身近に感じられましたか?
長くなってしまいましたが、日本に縁が深いパラオに親しみをもっていただけたら幸いです。長いパラオ生活で、古き知り合い達から聞き及んだ話をまとめるよい機会になりました。また、今は亡き良き知り合い達にも思いをはせることができました。ご機会をいただき、ありがとうございました!
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